文学の意義
まるで小説のよう、という表現ができる金水先生の書評です。
ただ、小説を読み慣れていないためか「よくわからない」という人もいると思うので、僭越ながら私が自分なりの解釈をさせていただきます。
書簡体小説・書簡文学と呼ばれる形式があります。そんな文学『女性らしい手紙文の書き方』が、今回紹介されています。小説を読み慣れていない人は、そういった文章にほどこされているきめこまやかな仕掛けには気づきにくいかもしれません。
「実務上の目的をもってしたためられた手紙のほかに,書簡形式の文書によって思想や文芸論を開陳したり,さらには書簡様式の詩作や創作を試みるならわしは古今東西に多くの例がみられる」(コトバンクより)
文学の意義とは何かを阪大文学部・文学研究科卒業式式辞で述べ、ツイッターでバズった金水先生。
"文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます"
"人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです"
上で述べられている文学の意義もそうなのですが、文学に嗜むはしくれの私にとっては、文学の真の意義は「現実を文学的に昇華する余裕を持てること」です。
この書評を読んで「よくわからない」などモヤモヤっとした人は、もう既に金水先生の手中にはまっている……。
野暮だけどもうひとつ解説を付け加えるなら、世間の期待を逆手にとった上で「実用性」の単語を風刺した書評体・解説体文学。
ちなみに個人的に、太宰治『井伏鱒二選集』後記を思い出してしまいました。太宰は人の小説の解説が上手いんですよね。青空文庫で読めます。