外向きのブログ

卒論一部公開(マクルーハンのとこ)

卒論の一部

 

メディアと文化

本研究においてメディアの役割を検討するにあたり、現代メディア論の古典であるマーシャル・マクルーハンの思想を援用する。マクルーハンには「メディアはメッセージである」という有名なフレーズがある。

すなわち、メディアとはその伝えようとする内容よりも、それ自体が社会的、心理学的、感覚的にもたらす影響力の方が大きな意味をもつものなのだということである(クリストファー 小畑訳 2005:4)。

他にもマクルーハンは「どんなメディアでもその「内容」はつねに別のメディアである」(マクルーハン 栗原, 河本訳 1987:8)などの一文も残しており、伝達媒体と伝達内容の明確な切り分けを重視し、現代のメディア論の基礎を築いた。

 

 マクルーハンの思想は、情報社会などポストモダン的な問題に応用されてはいるが、クリストファー(2005)によると、彼が基礎とするヒューマニズムの仮説はポストモダニズム脱構築を援用して反駁の努力を積み重ねてきたものに他ならず、彼の思想と現代の多様なメディアに対する考察を結びつけるには、本来、複雑な作業が必要であろう。

しかし一方で『マクルーハンとヴァーチャル世界』を論ずる吉見(2005)によると、マクルーハンが扱おうとしていたのはまさしく現代のポストモダン的なメディア状況であることに疑いの余地はないという。

 

 このように、マクルーハンは一面で旧来のヒューマニストな観点を色濃く残していた一方で、媒体と内容の峻別についてのシャープな意識から、ポストモダン的な解釈が可能であり、現代のメディア論の基礎として援用することも可能である。本研究は、マクルーハンポストモダン的解釈から得られる方法論的ビジョンを基礎として展開する予定である。

 

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こっちのブログは更新があきました。お久しぶりです。

先月は卒論で死んでました。活字メディアを言語処理してそのデータを分析、みたいなテーマにしたんですが、そもそも言語処理の方法論習得に手こずり、図書館で何度も徹夜を繰り返しました。

 

何を用いて分析するかというと、メディア論やポストモダン系の現代思想・・・しかしそもそも外国語学部フィリピン語専攻の卒論なのでそれをフィリピンに絡めるところで苦戦して、最後の最後でフィリピンや東南アジア関連の文献を読む。

そして卒論の後はじめてフィリピンに行くという・・・そもそもテキストマイニングが何かもわかりにくい・・・


めちゃくちゃな感じでしたが、そんなところも専攻語の先生からすると私らしかったんじゃないかな〜と思います。(無理やりなまとめ)

 

まあもう終わったことだし失うものはないのでブログで公開します。

多くの本を読んだことで色々勉強にはなりました。

 

最近、落合陽一『魔法の世紀』を読んでいるんですがテクノロジーを語るさい、やはりマクルーハンは登場しているので勉強して良かったな〜とテンション上がってます。

 

テクノロジーについて、

技術は深めつつも現代思想として語れるようになるのが夢です。←